八十路に向かって-Go for 80!

人生百年時代いつのまにか七十年過ぎ八十に向かう老婆の独り言です。

1年4ヶ月の学生寮での生活

100日チャレンジ18日目

おはようございます。

KSUの学生寮は独身用のドミトリーと留学生用の家族寮があり我々は夫婦用の1LDKに入居しました。ここはA-wingから始まりJ-wingまで10棟ほどありテラス形式の建物で様々な国からの留学生で溢れていました。農学部が大きい大学だったので農業の勉強に来るアフリカからの学生が多く、ナイジェリアから来た子供づれの家族が同じウイングにいました。他に共同の洗濯場でいろんな人に会ったのですが、韓国、台湾、マレーシア、メキシコ、スペイン系、フランス系とアジアからもヨーロッパからの留学生もいました。日本人は後で知ったのですが国際結婚をした日本人女性が一人だけ家族で住んでいました。

まず最初に驚いたのが人種の多さ。それまで日本でしか暮らしたことがなかったので、いろんな言語、いろんな肌の色・・習慣の違い・・に驚いたものです。

LDKの部屋には大まかな家具(ベッド、冷蔵庫、ダイニングテーブル、椅子、ソファなど)は備え付けられていましたが、その他生活に最低限必要なものは買いました。

ベッドシーツ、ブランケット、枕カバーは新しいものを買い、キッチン用品(お皿、鍋など)はガレージセールを回って安く調達しました。クーラーが付いておらず(冬は寒いので全館暖房付き)8月末、ものすごく暑くてバスタブに水を少し張って体を冷やしたりしていたのですがガレージセールで古い窓用のクーラーを見つけて取り付けました。

電話は受話器を差し込めば繋がるので受話器を買ってきて自分で取り付けました。当時は電話しかない時代。日本に連絡取る時はオペレーターに繋いで国際電話に繋いでもらってかけるという時代でした。国際電話代は高かったので1ヶ月に1回くらいしかかけませんでした。

車も手に入り生活費は安かったのでガソリン代も当時は1ガロン(4リッターくらいかな)50セント弱くらいだったように思います)

家賃は光熱費なしで100ドル、光熱費入れても110ドルくらいでいけたと思います。1ヶ月の生活費は家賃入れて400~500ドルでいけたように思います。1ドル200円の換算で約10万円ですかね。夫の学費は年間2000〜3000ドルやったと思います。

親から100万、友人から100万借金してそれを生活費に当てました。帰りの運賃も残しておかなければならないので

夫は通常2年かかる言語学修士を1年3ヶ月で終了。(若い頃はよく勉強していました)笑

私は教会とかでやっているいろんな無料サークルに参加したり、夫の教授の好意で学部のESLクラスを受講させてもらったりしました。

KSUは農学部と化学専門課程が充実していたので日本から交換教授のような形で岡山大学名古屋大学等国立大学の化学の教授が数名在籍されていました。学生は独身の男子大学院生が4名ほどいて我が家によく遊びにきていました。当時はまだ学部にくる日本人学生は少なかったように思います。語学学校もなかったですし。80年代になってからですね日本人留学生が多くなったのは。

カンサスの大学を選んでアメリカ合衆国の地図を眺めた時には丁度ど真ん中に位置しているので東にも西にも行けるではないかと思ったのですが、結局どちらにも遠すぎて行けず、滞在中カンサス州以外に出たのは北隣りのネブラスカ州リンカーンへ日帰りで行ったのと、南隣りのオクラホマ州に教授が学会で行く時に一緒にお供させてもらった時の2回でした。貴重な思い出です。

そんな貧乏学生生活でしたがなぜか希望しかなかったのです。

日々を楽しむこと。それが一番ですね。

今日もお読みいただきありがとうございます。

素敵な週末になりますように

皆様の健康と安全をお祈りします。