八十路に向かって-Go for 80!

人生百年時代いつのまにか七十年過ぎ八十に向かう老婆の独り言です。

3ヶ月ぶりのロードバイク

おはようございます!

2月〜3月にかけてのカナダ在住の娘家族(孫二人)の一時帰国やら、風邪ひいたり、管理人業の多忙もあり1月に3回中距離(40~60km)サイクリングをして以来ロードバイクに乗っていませんでしたが、いろんな雑務が一段落した昨日、良い天気に誘われて超久しぶりに愛車Rover66号に乗ってきました!!

恭仁大橋(木津川市

奈良市京都府和束町(管理している家があります)までの往復約40km走りました。

久しぶりすぎて乗り方忘れていて、サドルってこんなに高かったっけ?と感じたり帰りはお尻が痛くなったりしましたが帰路回り道で黒髪山の坂を下った時には(上りは押し歩き)めちゃめちゃ気持ちよかったです。(交通に気をつけて無理しないように走ります😅)

GW始まりました!

どうぞ事故のないように楽しまれますように

皆様の健康と安全をお祈りしています。

お読みいただきありがとうございました。

老眼と拡大鏡ルーペ

こんばんは!お元気ですか?

私が老眼ではないかと感じたのは40歳代後半の頃です。新聞の字が読みづらくなったのです。遠くはよく見えるのに近くの字が見えにくい!!当時は新聞の活字は今より小さかったのです。それまで私の視力は右1.2と左1.0くらいだったと思います。

丁度その頃我が家にインターネットが入り1990年代後半ですね。確か2,000年問題を騒いでましたから’99の年だったかな?'99年=47歳でした。その年に初めて老眼鏡を買いました。

当時は辺鄙な田舎暮らしをしていたのでネットで海外に繋がって「世界が広がった!!」と、とても嬉しかったのを覚えています。そして本や新聞の活字よりもPCの方が見え易くなりそれからPCの前に座ることを覚えました。

小学生だった娘が「母さん、どこ?」「あ、またPCゲームしてる!!」(笑)

そんな時代を経てかれこれ25年。メガネの度数を変えたのは3〜4回くらいだったかな、今でも眼鏡なしで両眼で0.7以上は見えるので車の運転ではメガネはかけなくて良いのです。

老眼は割とゆる〜く進むので(私個人のことです)見えないことにも段々と慣れてくるのですね。

しかし、

最近、

特に老眼が進んだように感じます!!!本を読むのが億劫になり薬瓶とか市販薬の箱に書いてる効能・用法・成分とかまるで読めない!!!

それで

最近見つけたのが『拡大鏡ルーペ』これ、とっても便利♡

義父の拡大鏡ルーペ

これは25年前に亡くなった義父のものです。義父は我々が当時暮らしていた山間の田舎が大好きで毎年四国からやってきては1〜2ヶ月ほど滞在して、この拡大鏡を使って新聞を読み俳句や短歌をせっせと詠んでいました。義父がやってきた最後の春が1999年でした。

その時に忘れて帰ったのであろう、この拡大鏡

先日それを田舎の家で見つけました。まるで天国からのプレゼントみたいに思えました。

 

今日もお読みいただきありがとうございます。

皆様の健康と安全をお祈りいたします。

萬葉植物園で藤の花を見てきました

雨上がりの今朝

散歩がてら春日大社内の萬葉植物園へ夫と行ってきました。

開演時間の午前9時に到着するように家を出て9時前に到着したらもうすでに20人ほどが並んでいました。

私たちは高齢者カードを持っているのでカードを見せればここは無料で入れます。チケット買っている人を横目に眺めながら先に入れてもらえました。ラッキー!!

今が見ごろの藤の花。

藤棚目指してさっさと歩いて行ったのですが、皆さん目的は同じなので一眼レフカメラ首から下げた、にわかカメラマンが結構大勢いました。

私はレンズ1個のスマホのカメラですが綺麗だったので写真撮ってきました。

萬葉植物園の藤

左下の写真の人物は私です。

藤の花、紫だけじゃなくて白にピンク、いろんな色があるのですね。とても綺麗でした。

藤色とは藤の花からきた色名だったと思うのですが、藤色自体は淡い青みがかった紫色のことを指すのでしようね。藤ホワイト、藤ピンクなんて色名が出来たりして!!!

本日もお読みいただきありがとうございます。

新緑の季節、外にでて深呼吸をして自然を楽しんでくださいね。

皆様の健康と安全をお祈りしています。

 

私の結婚式

昨日の続きです。

姉たちに続いて私も若い時に結婚しました。

昭和50年(1975年)のことです。

結婚相手は当時大学は出たものの就職もせず、まだ学校に籍を残しアルバイトで暮らしていた夫と電撃結婚したのです。何で電撃やったかというと、夫の幼なじみから夫に結婚式の招待状が3月初旬に届き、夫はあいつが結婚するんか!負けられない(笑)と実に単純な理由で結婚を決めた私たち。夫は紙切れ一枚で結婚は出来ると考えていましたが、私は結婚式はキリスト教の神様の前でしたいという密かな願望がありました。その時私はまだクリスチャンではありませんでしたが、明治生まれの私の父はキリスト教徒でした。幼い頃から父が聖書の話しを私にしてくれたので信じるならキリスト教しかないと思っていました。父が聖書の話をする時は実に楽しそうでした。

それで結婚式をやってくれるキリスト教会を探し、二人とも信者でないので聖書の勉強に、結婚とは何かとか牧師から講義を数回受けました。それでめでたくキリスト教会で式を挙げることが出来る様になったのです。

二人の貯金がほとんどなかったことも教会で結婚式を挙げた大きな理由の一つです。

結婚式は4月5日に決まりました。日取りを決めてから親に連絡!!

そんなふうに結婚式を決めたわけですがありがたいことに双方の両親&兄弟姉妹たちはみんな出席してくれました。それに友達も参加してくれたのです!!

親戚同士の顔合わせは結婚式後に私の親が予約してくれた料亭でお昼ご飯を食べながらの細やかなものでした。そして夜は夫の親友が彼の家で開いてくれた賑やかな友達パーティー!!

日付が変わるころ私たちはホテルに入り

ご祝儀袋を開けて「すごい!こんなにもらったことないね」と喜んだのでした。

結婚式から49年

結婚した時には友人たちから

「おまえら、いつ別れるんや」と冷やかされていた私たちですが

まだ続いています。

人生って自分で決めたようでそうではない。生まれる前からその人の人生って決められているのではないかと思います。安心して各々が信じる神に人生を委ねて今を生きましょう!!

今日は救急車のサイレンが3回聞こえてきました。

皆様の健康と安全をお祈りします。

 

娘三人持てば身代潰す

私には姉が二人います。昔は「娘三人いたら身代潰す」と言われていました。娘3人を嫁に出したら家が潰れるほどお金がかかるということです。

11歳上の姉がお嫁に行った時のことを思い出しながら書いてみます。昭和36年くらいのことです。長姉はお見合いで二十歳で嫁入りしました。

結婚式当日、自分の家での支度です。姉は朝早くから白無垢に角隠しの花嫁衣装に身を包み、まず歩いて本家の仏壇に手を合わせお先祖様に報告して、それからタクシーで嫁入り先の家に挨拶に行き、仏壇に手を合わせ、それから結婚式場石清水八幡宮に向かうのです。式には両家の親戚だけが参加。厳かに行われました。もうここで私は疲れていたので花嫁はもっと緊張して疲れていたでしょう。式場から出て嫁ぎ先の家でお披露目。宴会は夜中まで続きます。花嫁さん、大変ですね。そして翌日から新婚旅行へという流れでした。

次の姉の時は昭和44年だったかな、確か。その時も同じ神社で結婚式を挙げたのですが式場で支度をして披露宴は別会場でやりました。だいぶ変わってきましたが、そんな結婚式を2度経験して思ったことは『私は絶対こんな結婚式はやりたくない』ということでした。

そし姉たちが持って行った嫁入り道具は

洋服ダンス・整理ダンス・和ダンス・鏡台・下駄箱・客用布団・座布団一式・着物一式

生活用品の洗濯機・冷蔵庫・電気釜・他にもいろいろありますがそういうものは大抵親戚の人がプレゼントしたようでした。

三番目の娘である私は家が潰れるといけないので(←半分嘘半分ホント)母に嫁入り支度はいらないと宣言。5人姉兄弟の三男坊で家なし無一文の人と勝手に結婚を決め、狭いアパート暮らしで嫁入り道具が入らなかったというのが本当のところ。

私が20代前半結婚前のお正月に友人の家に招ばれて行くことがあり、洋服で行こうとしたら長姉が「お正月なのに着物を着て行きなさい」と姉の訪問着を着せられたのでした。足のサイズが合わないので草履とバッグは確か母が買ってくれたのだと思います。

それを17年前まで住んでいた田舎の家(現在断捨離中)で昨日発見したのです!!

 

50年前の草履とバッグ

いつもブログ訪問ありがとうございます。

皆様の健康と安全をお祈り致します。

足が攣ったら芍薬甘草湯

シルバー管理人業が忙しいので手短に。

今朝方早くに足が攣って目が覚めました!左足脛より下の部分。後ろのふくらはぎの部分も前の部分も順番に、トイレの便座に座って足に力を入れると同時に攣り始めました!!!立つとまた攣るので四つん這いで部屋に戻り足指持って動かしたりさすったりしながら台所に置いてある薬の引き出しから「ツムラ漢方68芍薬甘草湯」を一袋取り出しお湯で飲んだ。

これで足つりはひとまず治まり、安心してベッドに戻り再び寝たのでした。

この漢方薬、アスリートの方、特にランニングをされている方はよくご存知で「足が攣ったときはこれ飲むといいよ」と先輩トライアスリートに以前教えてもらって薬箱に入れて置いたのです。本当によく効きます。心臓病の人は服用しないでくださいと注意書きがあります。そして次の方は服用前に医師、薬剤師、登録販売者に相談して下さいという箇条書きが5つあり、4つは該当しないのですが、その一つに高齢者というのがあって、それに私は該当するのだろうか・・自己判断で服用しました^^;

奈良に来る前に住んでた神戸と和歌山は気候が暖かいので普段の生活では足が攣るということがあまりなかったのですが、奈良は寒い、冷え込み方が違う。

水分補給と冷えには気をつけましょう!!

麹調味料

前の記事でグルテンフリー食生活について少し述べたと思うのですが、食生活に関心が高まると添加物のなるべく使ってないもの、農薬の使ってないお米、野菜などを出来る範囲で利用するようになってきました。

特に基本の調味料については気をつけるようになってきました。

例えば、醤油については私が今使っているのは原材料名:大豆(国産、遺伝子組み換えでない)、小麦(国産)、天日塩:です。自然食品のお店で買っています。砂糖は白砂糖は使わずにきび糖を、塩は製法を見てミネラル成分の多いものを、みりんは三河みりん、酒は料理酒ではなく純米酒を、というふうに調味料に気をつけるようになるとそれだけで食生活が変わって来たのですね。

最近スーパーとかでもよく塩麹とか見かけるようになって麹調味料があることを知り作るようになりました。それが意外と簡単にできるのです。

塩+麹+水=塩麹

醤油+麹=醤油麹

玉ねぎ+麹+塩=玉ねぎ塩麹

混ぜて常温でねかせて1週間とかでできます。ヨーグルトメーカーがあれば数時間から一日でできます。

塩麹は炒め物・肉魚類の下味付け、味噌汁にも使えます。万能調味料です。

玉ねぎ塩麹コンソメの代用として使えます。スープの素はもう要りません。サラダ用のドレッシング作りにも重宝します。とても美味しいドレッシングが出来ますよ。

醤油麹はそのままご飯にのせても良いし納豆のタレとして使っても美味しいです。もちろん下味に使えます。豚肉の生姜焼きなど醤油麹使えばとっても美味しくできますよ。

実は昨年麹の基礎を勉強しに半年間10回ほどの講座を通学受講しました。それで試験を受けたら麹マイスター2級の資格が取れるという講座でしたが、私は資格は取りませんでしたが、そこでの勉強はそこそこ役に立っています。

若い頃に初めて口にしたピザのおいしさに衝撃を受けそれからは洋風の食べ物まっしぐらでしたが、70歳になって孫のアレルギーから日本の伝統食に目がいくようになり、改めて長い年月をかけて培われた日本の食文化に感動し魅了されています。体の調子がすこぶる良いのです!!これが一番の理由かも(笑)

お読みいただきありがとうございます。

皆様の安全と健康をお祈りします。

3年ものの黒糖泡盛梅酒ー友人からの頂き物