100日チャレンジ43日目
おはようございます。
息子がS.Elementary Schoolに通ったのは1990年-1992年の丸2年間です。日本の小学校の一年生を2学期まで終えてアメリカの小学校の一年生後期から三年生前期まで過ごしました。そして日本に帰国し元の小学校の三年生3学期に復帰したのです。
息子が南小学校に通い始めてすぐに覚えてきた英語は
”Don't copy me!" 「私の真似をしないで」でした。
個性を重んじるアメリカの洗礼を早速受けたのでした。
南小学校では特定の参観日はなく、その代わり保護者はいつでも自由に授業を見学することができました。
ある日、夫と二人で学校へ見学に行った時のこと。寝転んでスペリングの勉強をしている子どもによく出来たねと先生がペニー銅貨(1セント)をプレゼントしていました。
我が家にはピアノがあったので息子は週一ピアノレッスンを受けていました。そのピアニストの先生からも「今日はよく出来たわ」と時々ペニーをもらっていました。
その他にも日本の小学校の全体でする運動会、発表会、学期ごとの始業式終業式はなく、また家族旅行するから子供を学校を休ませますという連絡すると、先生は「それは良い経験になるね、どうぞ行ってらっしゃい」と喜んで送り出してくれるのでした。
小学校の入学年齢は6歳・7歳・どちらでもよく、成績がいい子は上の学年で学ぶ飛び級も普通でした。逆に遅れている子供は落第がありました。
2年間で息子は英語の方が自然に口から出てくるようになり、家庭では日本語を使っていたものの学校から帰ると「ただいまと行ってきます」を逆に言ったりするようになりました。
そして極め付けは私とアメリカ人との会話を聞いて「マミー、なんでそこで詰まるの?こういえばいいじゃん」とスラスラと流暢な英語で語るのでした。
父に対しては「ダディー、日本に帰っても日本語を教えた方がいいよ」と夫の英語に対する自信を砕いたのでした。
今日も最後までお読み頂きありがとうございます。
良い一日になりますよう
みなさまの健康と安全をお祈りします。