八十路に向かって-Go for 80!

人生百年時代いつのまにか七十年過ぎ八十に向かう老婆の独り言です。

テレビのない生活

100日チャレンジ6日目

昨日はサスペンスドラマにハマっていたことを書きましたが、結婚して49年、実は我が家にテレビが在ったのはほんの数年間だけです。結婚当初は共働きで休みになるとお昼頃起きて「新婚さんいらっしゃい」とかパネルクイズ「アタック25」とか二人で観ていたのを覚えています。

それから夫の海外留学をきっかけにテレビを処分。帰国後もテレビなしの生活が続きました。夫の仕事が決まって関西に引っ越し、長男が産まれ、夫が野球が観たいということで再びテレビを導入。13インチの小さいテレビでした。

その時は住宅都市公団の比較的大きな規模の団地に住んでいました。5階建てのエレベーターなしのいわゆる集合住宅です。40年ほど前になりますね。1980年代です。団地には子供もたくさんいましたし、小学校へ上がる前の幼児のいる家庭の母親はほとんど専業主婦でした。団地内の公園ではいつも子供の声がして賑やかでした。

そんな団地にN○Kの集金人が頻繁にやってくるわけです。私はその時4階に住んでいたのですが、同じ階段を使う10軒の世帯で(驚くなかれ)その受信料とやらを払っていた家はなかったのです。(四国では当然の如くみんな支払っていましたからびっくりしました)取り立て回避の対処方法が人によってそれぞれ面白かったので少し紹介します。

国際結婚している家庭:外国人の夫に対応させる(日本語がわからないから集金人は諦めて帰る)

うちの前の家の人:この階段に住んでる10件がみんな払ったらうちも払います!!と言ってドアを閉める(強気)

鍵穴から覗いてドアを開けない・・これが一番多い。

あまりに何回もくるので根負けして「一番安い白黒テレビの契約したのよ」という2階の奥様がいました。その頃はカラーテレビと白黒テレビで値段が違っていたのです。まだ衛星放送はありませんでした。

我が家はというと、受信料払いたくないので結局テレビは取ることにしたのです。それ以来テレビのない生活が続き、2度目の海外生活の後、90年代になって田舎暮らしに落ち着いた時に衛星放送観たくてテレビを導入。受信料も払いました(笑)

その後の引っ越しでまたまたテレビのない生活になって今日に至っております。

息子が3歳の頃、私はどちらかというとテレビよりもラジオ、主にFM放送を聞いていました。夫はテレビ好きで、テレビがあればいつもつけてるという状態でした。テレビの音がうるさくて、つける、消すで揉めたことがよくあります。

その頃夫は息子のことを題材にエッセイを英語で書いていたのです。その中でそうした夫婦の争いを描写している場面があって

"TV is an iddiot box!"

テレビって昔は箱だったのですね。

今やデジタルの世界・AI人工知能とやらも入ってこれからの世界はどうなっていくのでしょう。

今日もお読みいただきありがとうございます。

GW最終日

素敵な一日になりますように

皆様の健康と安全をお祈りいたします。